行動の保障 〜その3〜 | - 2008/02/19(火) 01:36:03
認知症の状態にある人は認知症の状態であっても、僕たちと同じ日本という国に生きる人であり、それは僕たちと同じ日本国民ということだ。
そして、日本国民誰しもに守られるべきであり、日本国民誰しもが守るべきものが日本国憲法だ。
その日本国憲法には『国民の権利及び義務』という下りが第三章にある。 そこには、基本的人権の享有と性質、自由・権利の保持義務、個人の尊重・生命・自由・幸福追求の尊重、法の下の平等、奴隷的拘束及び苦役からの自由、生存権・国の生存権保障義務・・・・・などが記されている。
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しかし悲しいことにこの国においては、僕たちと同じ日本国民であるにもかかわらず認知症の状態にあるというだけで、この「国民の権利及び義務」というものがどこかに置き忘れらてしまう。
置き忘れられている証拠に、多くの認知症の状態にある人が利用する介護保険制度を定めている介護保険法には、「緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束等を行ってはならない」とわざわざ身体拘束禁止を規定している。
これは、これまでの介護の実践の歴史や現在の介護の実践の到達点を踏まえたものであり、未だに認知症の状態にある人たちに対する僕たち専門職や多くの国民の意識や考えが、認知症であるというだけで自分たちとは同じ国民ではなくなり、「特別な人」「困った人」「大変な人」、果ては「ばかげたことをする人」などとなってしまい、認知症の状態にある人たちに対する「国民の権利及び義務」が置き忘れらていることの証ではないだろうか。
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施錠について語り合ったり、考えたりするとき、この「国民の権利及び義務」に記された全ての文言に「認知症の状態にある人は除く」と書かれていないことを、常に頭の片隅に置いておく必要がある。 頭の片隅に置いてあれば、「施錠は当たり前」ととんでもない認識をしたり、「仕方がない」と施錠を解くことを諦めてしまうのではなく、「施錠はしたくない」と思い「何か手立てはないか」と施錠を解くことが前提で語り合い、考え合うことが当たり前になるからだ。
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現実的にいっさい施錠しないなんてことは、今の社会システムや介護保険制度というシステムでは無理だと僕は思っている。
でも、無理だと諦めず、認知症の状態にある人たちに対し、施錠する・するしかない・してしまう・という事実が、少しでもこの世の中から消えていくための実践を僕たち専門職は積み重ねていきたい。
施錠という事実の多くを生み出しているのは僕たち専門職、だったらそれを無くしていくのもまた、僕たち専門職しかいないのだという自覚を持って・・・・・。
(次回へ続く)
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